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亀城庵・庵主の藤井 薫が幼い頃、
近くに手打ちうどんを作っている小さな製麺所がございました。
当時、今は亡き祖父に連れられて、よくうどん玉を買いに行っていたそうです。
そこでは、うどん生地をござの間に挟んで足で踏み固め、麺棒で伸ばし、包丁で切り
大きな五右衛門風呂のような茹で釜でうどんを茹でていました。
茹であがったうどんを水洗いして、丼に入れ、生醤油をかけて食べた時のおいしさは
今でも忘れられないものだったそうです。
しかし、この後物心ついてからどこのうどん屋さんに通っても、この幼い頃に味わった
小さな製麺所の味にはかなわなかったのです。
庵主の藤井はその後、いろいろなお店をまわり、そのたびにあの幼い頃に食べた素朴で懐かしい、そしてなんともいえない歯ごたえと美味しさのあった讃岐うどんを捜し求めました。 しかし、二度と巡り合うことはなかったのです。
そこで、最終的には「どこにもないのなら、自分で作り上げてしまえ」という決意をしたのです。
昭和59年。
丸亀城のお堀端にある、
現・会長の自宅の一角でうどんを打ち始めたのが、亀城庵の始まりでした。
作り始めて2年ほどは、友人や親戚に麺を配っておりました。
そのときも、販売する事より「どうすればもっと美味しいうどんができるか?」
という事しか頭になく、何よりもまず麺の研究室(ジャパンフードリサーチ)としてスタートしたのでした。
当時、麺の研究室など他には存在していなかったので、これは業界初の試みとなりました。
「しなやかでソフト感があり、しかも粘り強いコシのある理想のうどん」を目指して研究・試行錯誤の毎日が続きました。
職人技を身につけるだけでなく、さぬきうどんの伝統製法を紐解き、さらには麺の美味しさを科学的な側面からも研究してまいりました。
試行錯誤して出来上がった麺を配っているうちに、徐々に地元で美味しさが知られるようになり、ようやく本格的にうどんの販売が始まりました。
やがて 小さな丸亀の工房では生産が間に合わなくなった為に、うどん発祥の地であり庵主の生まれた地、坂出に新たにうどんの工場を開いたのが、昭和63年のことでした。
それから今日に至るまで、試食して心から美味しいと思えなかったうどんは、絶対に販売
しない方針で歩んでまいりました。
一生懸命作ったうどんを売りたいというスタッフ、それでも美味しくなければ売ってはいけないという庵主。何度も衝突しながら美味しさを磨いてまいりました。
しかし、丸亀城のお堀端の小さな小さな研究室から、こうして全国の皆さまにご愛顧頂けるようにまで成長できたのは、手間と時間をかけても「美味しさにこだわること」「誰もが安心して毎日でも食べれる商品作り」を諦めなかった姿勢に多くの方がご賛同下さったからだと思っております。
亀城庵創業時から今日まで、ご支援頂いた多くのお客様には感謝の気持ちでいっぱいです。
私ども亀城庵は今後も研究を重ね、どこにも負けない美味を安心して味わって頂けるよう、努力と情熱を持って信念を貫き通してまいります。
今後とも亀城庵を何卒よろしくお願い申し上げます。 |
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