ご挨拶
私達が讃岐うどん作りを始めたのは今から17年前のことでした。
私と私の義母であり、当社の会長である三井光榮と二人で、丸亀城の堀端、会長の自宅の一角で始めた小さな小さな事業でした。
最初に小さい作業場を作った時に、保健所の担当の方が衛生検査に来られました。その折に言われたことが今でも鮮明に頭の片隅に残っています。
「さぬきうどんの製麺業は廃業している時代ですよ。何で今ごろ始めるのですか。失敗しないうちに早く止めた方が良いですよ。」
そうです。私達が麺作りを始めた頃は既に香川県の製麺業者は廃業している時代であったのです。
しかし、私達は単なる製麺業を志してはいませんでした。
麺作りは私達にとって初めての仕事でした。
しかし、私達には麺作りに大きな使命と男子一生の人生を賭けても決して、惜しくない大きな可能性を感じていたのでした。始めるに当たって、私達は次の2つの誓いを立てました。
1. 美味しさにかけては絶対にどこにも負けないうどんを作ろう。
2. 添加剤等は一切使わない、安全な食品を作ろう。
以上の誓いを17年間かたくなに守り通して来ました。
最初、麺作りを始めた頃はまだ技術が未熟で美味しくない麺が出来た時も度々ありました。そんな時には会長を始め、麺作りをしていた人達と私はよく喧嘩になりました。麺作りをしている人達は一生懸命に麺を作ってくれていました。ところが、私が試食すると美味しくないのです。そこで、私は「このうどんは絶対に売ってはいけない。」と言いました。すると麺作りの担当者は「そんなに味が変わらないではないか。私達が一生懸命に作っているのに何で売ってはいけないのか。」と何度も何度も衝突しました。しかし、私が納得しなかった麺は絶対に売らせなかったのです。
麺作りを始めてしばらくの間(1〜2年間)は本当に売れませんでした。
売れないものですから、知り合い、親戚、友人に配ったりしました。
ところが、3年目に入ると徐々に美味しさが知られるようになりました。
そして3年を経過した時には生産が間に合わなくなるようになって来ました。
最初は小さい工場で始めたものですから、何度も増築を繰り返しました。
丸亀工場では増築の余地の無くなった頃、11年前に坂出工場を作り、本社を坂出工場に移し、現在に至っております。
長いようで短いような17年間でしたが、この間には多くのことを経験させていただきました。
事業が順調にいっているときばかりではなく、順調でない時も多々ありました。そして、私達が困った時には沢山の人達に助けていただきました。
今日の私達があるのはそのような多くの恩人と、私達の商品をご支持いただいた全国にいらっしゃる多くのお客様のお陰です。更にはお取引先の皆様、一緒に働いている社員の協力の賜物であると思っております。
私達は自分だけでは、絶対に一日たりとも生きていけません。
周りの多くの人達にお世話になり、迷惑をかけて生きております。

私達は、世の中にたいした貢献は出来ませんが、とびきり美味しくて、健康に良いさぬきうどん、らあめん等の商品を通じて私達の心を皆様に伝えることが出来れば、こんなに素晴らしいことはあります。
そして私達のお届けする商品が単なる食品としてだけではなく、お客様の温かい心を伝える媒体になれますように念じております。
私達は残った人生のすべてをかけて、私達の商品を磨き続けることを誓います。更にこの精神を次の世代に、更に次の世代に引き継いでいくことを誓います。
私達はこんな素晴らしい仕事を見つけることが出来たことを大変幸せに、誇りに思っております。
私達は私達の心がこもった商品を通じて、全国の多くのお客様ともっともっとお知り合いになりたいと願っております。
末永いご支持、ご支援のほどどうか宜しくお願い申し上げます。
暑さ厳しい日々が続いておりますが、どうかお体を大切にお過ごし下さい。
感謝
平成十二年七月吉日 庵主 藤井
薫
|